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2025.03.04
ゆっくり思考する「SCT」とは? ADHDとは違うの?
SCT(Sluggish Cognitive Tempo)とは、注意力の持続や認知のスピードに極端な低下が見られる状態を指す名称です。
その特徴は「ぼんやりしている」とか「考えがスローダウンしている」と表現されるような症状群で、具体的には過度の空想(白昼夢)、頭の中が霞がかったようにぼんやりする、動作や思考の緩慢さなどが挙げられます。こうした症状により、周囲から「まるでエンジンのかかりが悪い」ように見えることもあります。SCTは注意欠如・多動症(ADHD)と関連して語られることが多いものの、近年の研究ではADHDとは異なる独自の症候群として注目されています。
この状態自体は決して新しい発見ではなく、注意障害の歴史を紐解くと18世紀末の医学文献において既に「注意散漫型」と「覚醒低下型」の2つが区別されていたとの記録もあります。
現代的な文脈で「Sluggish Cognitive Tempo」という用語が使われ始めたのは1980年代で、当時はADHDの亜型(不注意優勢型)の一部と見なされていました。しかしその後の研究蓄積により、
SCTの症状はADHDの不注意症状と統計学的にも分離可能であり、質的にも異なることが示されています。
例えば2017年に米国シンシナティ小児病院のBeckerらは、4~64歳までの幅広い年代を対象とした一連の研究を総括し、
SCTの症状は幼児期からADHDの症状と区別でき、ADHDという診断カテゴリーの中に収まりきらない可能性を指摘しました。もっとも、SCTは現時点で米国精神医学会の診断基準(DSM-5)にも独立した障害としては記載されておらず、疾病概念として正式に確立しているわけではありません。それでも「ADHDとは別個に注目すべき症候群である」との研究知見が年々増えており、医学界でも無視できないテーマになりつつあります。
症状
SCTを持つ人は、他の人と同じように素早く情報を処理できないことがあり、学業や意思決定、あるいは社会的な人間関係に苦労することがあります。また、以下のような症状が見られることもあります。
- 空想にふけることが多い
- 混乱したり、すぐに気が散る
- 眠そうに見えたり、引っ込み思案である
- 身体活動にほとんど興味を示さない
- 興味を失ったり、課題を最後までやり遂げるのが遅い
- うつ状態や不安感がある
SCTの中心的な症状は先に述べたように心ここにあらずのような状態です。具体例としては、「話を聞いていても内容が頭に入ってこない」「授業中に窓の外を見つめて空想にふけってしまう」「作業に取り掛かってもなかなかペースが上がらない」といった様子が挙げられます。本人は決してサボっているつもりはなくても、頭のエンジンが暖まるまでに時間がかかる感覚があります。実際、心理学者たちは1960-70年代頃から、こうした「慢性的にぼんやりして集中できない人たち」が存在することに注目してきました。重要なのは、誰にでも一時的に起こり得る「上の空」状態が、SCTでは常態化し生活に支障をきたすレベルになっているという点です。
では、同じ注意の問題でもADHDの不注意症状とは何が違うのでしょうか。ADHDの場合、集中力が途切れやすいとはいえ「興味が移れば次々と別の対象には集中できる」ことが多いと指摘されています。
一方で
SCTでは、そもそも目の前の課題に意識を向けて集中状態に入ること自体が難しいと表現されます。例えるなら、
ADHDはエンジンはかかるものの次々と別のギアに入ってしまう状態、
SCTはエンジンのかかりそのものが弱い状態と言えるでしょう。
SCTの症状はADHDを伴わず単独でも現れうることも明らかになってきており、このことがSCTを独立の症候群とみなす根拠の一つとなっています。
SCTは前述のように正式な診断基準が存在しないため、評価・診断が非常に難しい領域です。臨床現場では問診や行動観察を通じて特徴的な症状の有無を慎重に判断するほか、研究目的で開発された評価尺度(例:Barkleyによる16項目からなるSCT評価スケールなど)が参考にされることもあります。しかし、これらの所見は主観的評価に依存する部分も大きく、どの程度を異常とみなすか明確なカットオフもありません。また、保護者や教師が子どもの様子について「まるで上の空」「反応が遅い」と報告して初めて気づかれるケースも多く、周囲の認識にもばらつきがあります。
このように診断基準が未確立であるため、用語の使われ方も一貫していません。従来は「スラッギッシュ・コグニティブ・テンポ(SCT)」という英語名が主に使われてきましたが、この名前自体が患者に対して否定的・侮蔑的に響く恐れや、病態を正確に反映していない懸念が指摘されてきました。
そのため、注意欠如多動症研究の第一人者である米国のBarkley教授は2014年頃に
「集中力欠如障害(Concentration Deficit Disorder, CDD)」という新たな名称を提案しています。
さらに近年では
「認知的離脱症候群(Cognitive Disengagement Syndrome, CDS)」という名称も提唱され、実際に2023年には国際的な専門家グループがSCTからCDSへの用語変更を支持するコンセンサスを発表しました。
この報告書では、CDSという用語の方が他の疾患名とも混同しにくく患者への印象も中立的で、現時点の科学的知見にも即していると評価されています。ただし専門家らは名称が変わっても実体の解明が進む必要性は変わらないとも強調しており、診断カテゴリーとして確立するにはさらなる研究が不可欠です。
例えば米国の大学生を対象とした研究(Jarrettら, 2017年)では、
自己評価でSCT傾向が高い学生は「時間制限下で課題をこなすことが苦手」と感じる割合が高い一方、実際の認知テスト成績には有意差が見られなかったと報告されています。このギャップは、SCTの問題が認知能力そのものというより、覚醒レベルや動機づけといった日常場面での実行制御に現れやすいことを示唆しています。
脳の働きに着目した研究からも、SCTと典型的なADHDでは異なる神経基盤が示唆されています。
2015年に米カリフォルニア大学デービス校のKrafftらが行ったfMRI(機能的MRI)研究では、
ADHDの青年期患者においてSCTの症状が強いほど課題準備時の頭頂葉(上頭頂小葉)の活動低下が顕著であることが明らかになりました。
この頭頂葉は注意の方向付け・切り替えに関与する領域であり、活動低下は必要な時に注意を再集中させることの困難さ(注意の再定向の障害)を反映している可能性があります。
一方、同じ被験者でも
ADHDの不注意症状が強い場合には、補足運動野や視床といった別の脳部位の活動異常(反応準備の非効率さを示唆)が関連しており、
SCTとADHD不注意では脳活動パターンが異なることが支持されました。
このような神経画像研究の蓄積は、SCTが生物学的にも独自のプロファイルを持つ可能性を示しています。
さらに、SCTの覚醒水準や睡眠との関連も注目されています。日中の眠気や覚醒リズムの乱れは古くからSCTとの共通点が指摘されてきましたが、近年になって本格的な検証が始まりました。
2022年に発表されたFredrickらの研究では、中高生302人に対し活動量計(アクティグラフ)と睡眠日誌を2週間以上記録して詳細に検討しています。その結果、
SCT傾向の強い生徒ほど就床から入眠までに時間がかかり、平日の総睡眠時間が短く、夜更かし傾向が強いことが客観データから示されました。さらに本人および親の報告でも、
SCT傾向の強い群は日中の強い眠気や睡眠の質の低下が有意に認められています。
興味深いのは、これらの睡眠・覚醒の問題は
ADHDの有無にかかわらずSCTに固有の関連性を示した点で、SCTが生体リズムや覚醒機能の側面でも独特の特徴を持つ可能性が示唆されます。
同様に、小児の睡眠障害クリニック受診例を調べた研究でも、SCT症状が強い子どもほど日中の過度な眠気を訴える傾向が明らかになっており、SCTと睡眠・覚醒リズムとの密接な関連が徐々に実証されつつあります。なお、生理学的な所見としては甲状腺刺激ホルモン(TSH)の値とSCT症状に相関が見られたとの報告もあり、今後ホルモンや覚醒制御メカニズムとの関連解明にも期待が寄せられています。
SCTの症状は、その人の学業成績や仕事の能率、対人関係に様々な影響を及ぼします。
学業面では、集中が持続しないために課題の完遂に時間がかかったり、うっかりミスが増えたりする傾向があります。例えば授業中に内容を聞き漏らしてしまい理解が追いつかない、テストでは問題を解き終わらず白紙のまま提出してしまう、といった事態が生じえます。ただし、これはADHDに見られるような多動や衝動による妨害ではなく、認知処理のゆっくりさによる正確性・効率の問題だと考えられています。実際、ある研究ではSCT傾向の強い学生は自分の処理速度の遅さに強い困難を感じるものの、標準テスト上の処理速度自体には大きな差が出ない場合もあることが示されています。これは、本人の主観的な苦労が結果として成績(アウトプット)に結び付きにくいというジレンマを表しています。
職場においても、SCTの特性は
仕事の段取りの悪さやミスの多さとなって現れることがあります。指示を受けてもすぐには頭が切り替わらず対応が遅れたり、締め切りに間に合うよう作業ペースを上げることが苦手だったりするためです。その結果、周囲からは「やる気がない」「怠けている」と誤解される恐れがあります。実際には本人なりに努力していても、認知のペースが追いつかないことで生じるパフォーマンスの問題であり、適切な理解とサポートが欠かせません。
SCTの人は目立った問題行動を起こさない分、組織内で支援の対象から漏れてしまう危険も指摘されています。
対人関係では、SCTの傾向を持つ人は内向的で引っ込み思案に見られがちです。会話中に注意がそれて上の空になってしまうことで「話をちゃんと聞いていない」と受け取られ、人間関係のミスコミュニケーションにつながることもあります。
また子どもの場合、
積極的に友達と関われず一人で空想にふけっている時間が長いために周囲から孤立してしまうこともあります。SCTの子どもは他児と比べて引っ込み思案で取り残されやすいとの報告もあり、親や教師が早期に気づき橋渡しすることが望ましいでしょう。加えて、SCTの子どもや大人は不安や抑うつといった内面的な問題を併発しやすい傾向が研究で示されています。
チリのBelmarらによる大規模調査(2017年)でも、SCT症状の強い群はADHDの不注意症状の強い群に比べて
不安・抑うつ症状との関連が有意に高かったことが報告されています。
一方でADHDでは
反抗的行動や衝動性との関連が強く、両者の違いが際立ちました。このように、SCTは表面的には静かでも本人の内面では大きなストレスを抱えている場合があるのです。
総じて、SCTは学業・仕事・人間関係といった社会生活のあらゆる局面に影響を与えうる症候群であり、そのインパクトは決して軽視できないものがあります。
SCT(CDS)は徐々に研究が進み、その実態が明らかになりつつありますが、依然として多くの未解明の課題が残されています。2023年の国際専門家ワークグループ報告では、「CDS(SCT)は独立した症候群として認識できる段階に達した」との見解が示されました。一方で同時に、「これからその本質(独立疾患なのか、他疾患にまたがる次元特性なのか)や原因、発達上の経過を解明するためのさらなる研究が必要である」とも強調されています。