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2025.08.25
周産期以降における夫婦の「うつ病リスク」を正しく理解するために
妊娠中から出産後1年までは、女性(母親)にとって心身の大きな変化の時期です。この時期に「産後うつ」と呼ばれる気分の落ち込みが起こりやすいことは広く知られています。しかし近年の研究(徳満ら(2023))では、男性(父親)も出産前後にうつ気分になる可能性があることが明らかになってきました。実際、日本人の調査では産後1か月の母親の約14%が産後うつ傾向(スクリーニング検査で判定)を示し、父親も全体で約10%とかなり高い割合であることが報告されています。つまり、この時期はママだけでなくパパにとってもメンタルヘルスに注意が必要な大切な時期なのです。
とはいえ、「14%」「10%」という数字だけ見ると驚くかもしれません。この数字はどのように測ったかによって変わることをご存じでしょうか。同じ「うつ病リスク」を調べるにも、アンケートによるスクリーニングなのか、お医者さんの診断なのか、あるいは抗うつ薬の処方まで至ったケースなのかで、見えてくる割合やリスクの高さ(発症率比: IRR)が異なってきます。今回は、エビデンスをもとに指標ごとの数字の違いとその意味を解説し、「どの時期に注意すべきか」「これらの数値をどう解釈したらよいか」を考えてみましょう。
リスクを見る「ものさし」の違い
うつ病のリスクを測る代表的な指標には次のようなものがあります。それぞれ何を示し、どんな人が含まれるかが少しずつ異なります。
スクリーニング検査(例:EPDS自己チェック):質問票で気分の落ち込みや不安の症状を拾い上げ、高得点の人を「要注意」とする方法です。症状がある程度強い人は幅広くキャッチできますが、正式な診断ではありません。あくまで「うつ症状が高いリスクにある人」を見つけるためのものです。
医師の診断(例:ICD-10のF32/F33などうつ病の診断):精神科や心療内科の医師が診察し、症状の程度や期間が診断基準を満たした場合に初めて「うつ病」と診断されます。診断が付くのは、スクリーニングで拾われた人たちの中でも実際に受診して評価された人のみです。そのため、診断データには「病院に来るほど症状が辛かった人」や「助けを求めた人」だけが含まれ、スクリーニングよりも絞り込まれた集団になります。また受診行動や医師の認識にも影響されます。
抗うつ薬の処方開始:うつ病と診断された人の中でも抗うつ薬による治療を開始した人のデータです。薬を使うケースは、一般的に症状がより重かったり、治療意思がはっきりしていたりする人です。カウンセリングのみで経過を見ている人や、受診はしたけれど薬は断った人などは含まれません。そのため、この指標に該当するのは最も狭い範囲の人々になります。
このように、上から下へ行くほど厳しいフィルターがかかり、数字も変化します。では実際に、周産期のうつ病リスクはこれらの指標によってどのように異なる結果になるのでしょうか。
スクリーニング検査で見る周産期うつリスク
冒頭でも触れたように、EPDS(エジンバラ産後うつ質問票)などのスクリーニングで見ると、産後うつの疑いがある人は思った以上に多く存在します。日本人のデータでは、産後1か月の時点で母親の約14%がEPDSでカットオフ以上を示し、父親も約10%が高得点でした。国際的にも「産後うつの13~17%程度はスクリーニングで陽性になる」という報告があり、7人に1人前後の新米ママが何らかのうつ気分に悩んでいる計算になります。新米パパも決して無関係ではなく、10人に1人程度は産後に気分の落ち込みを経験すると考えられます。
EPDSはカットオフの設定で陽性的中率が変わります。大規模メタ解析では「11点以上」で感度と特異度のバランスが最良、13点以上は感度が下がり特異度が向上する、と整理されています。つまりスクリーニング結果の解釈にはカットオフの前提が不可欠です。日本人女性ではEPDSの適切カットオフは産後8/9(≧9)、妊娠中11/12(≧12)との報告がある一方、日本人男性では産後に7/8(≧8)が適切との示唆があり妊娠期の基準は確立していないという指摘もあります。
陽性的中率(PPV)とは、スクリーニング陽性となった人のうち実際にうつ病と診断される人の割合です。EPDSのPPVは、母集団における本当のうつ病有病率(事前確率)およびEPDSの感度・特異度によって決まります。
父親についても、自己記入式のスクリーニングでは8~10%前後が産前産後に抑うつを示すとされ、母親の症状と中等度に相関する(片方が不調だともう一方も不調になりやすい)という古典的メタ解析があります。症状という面では父も“当事者になり得る”ことを押さえてください。
重要なのは、スクリーニング陽性=うつ病確定ではないということです。高得点だった方全員が医療機関で「うつ病」と診断されるわけではありません。徳満ら(2023)の論文中で「周産期うつ病」や「産後うつ病」という場合、それは主にスクリーニング上でうつ病疑いと判定された状態を指しています。つまり、徳満ら(2023)のメタ解析における「うつ病」はDSMなど専門家による正式診断というより、研究で用いられた評価尺度の基準を満たした“ケース”を意味します。「うつ病」という用語はスクリーニング段階で捉えられた抑うつ状態を指して用いられており、必ずしも精神科医による診断確定例のみを意味していないということです。中には一過性のホルモン変動や生活疲れでたまたま落ち込んだだけの人もいるでしょう。それでもスクリーニングは非常に有用です。なぜなら、症状に苦しんでいる可能性のある人をできるだけ漏れなく拾い上げることで、「早めのケアにつなげるチャンス」を与えてくれるからです。産後間もない頃はママもパパも新生活で手一杯なので、自分の不調に気づきにくいものです。「こんな気持ちになるのは自分だけでは?」と不安になる方もいます。EPDSなどで少しでも高いスコアが出た場合は、「自分は疲れているんだな、助けが必要かも」と不調を見逃さず自覚するきっかけにしてください。
ちなみに、スクリーニングで見る限り「産後うつ気分」は出産直後から高率です。母親の場合、産後すぐ(1か月以内)が最も割合が高く、その後徐々に落ち着いていく傾向が報告されています。一方で父親は、産後すぐよりも3~6か月頃に不調がピークとなるデータがあります。これは、出産直後は父親が気を張ってサポートしているものの、数か月経って生活に慣れるにつれ疲れや孤独感が表面化してくるためかもしれません。「うちは大丈夫」と思わず、パパ自身も産後数か月が過ぎてからのメンタルにぜひ目を向けてみてください。
診断されたうつ病の発生率
次に、医療機関で正式に「うつ病」と診断されたケースに絞ってみましょう。スクリーニング陽性の方の中でも、実際に心療内科などを受診して診断が付くのは一部です。この「診断ベースのデータ」では、産後のうつ病リスクはどのように現れているでしょうか。
大規模なデンマークの登録研究では、出産後6か月以内の女性は同年代の女性と比べてうつ病と診断される人が約1.8倍に増えることが報告されました。具体的には、産後6か月の母親では年間1万人あたり約34人がうつ病と診断され、これに対し出産していない女性では約19人というデータです。「1.8倍」という発症率比(IRR)はかなり大きく、産後は明らかに抑うつ発症のリスクが高まることを裏付けています。実際、別の英国の一次医療データ研究でも、「両親ともに子どもが生まれた最初の1年に最も抑うつエピソードを経験しやすい」とされており、母親の1年目の発症率は年13.9%(約7人に1人)、父親も3.6%と平時より高い値でした。出産から1年以内が、両親にとっていかにメンタル面で要注意の時期かがわかります。
では父親の診断例はどうでしょうか。こちらは研究によって少し結果が分かれますが、興味深いデータがあります。英国のコホート研究で、新米パパ9万人以上と子どものいない男性45万人を比較したところ、出産後1年以内の父親だからといって抗うつ薬が多く処方されるわけではない(統計的に有意な差がない)との結果が得られました。すなわち、「父親になったこと自体は、少なくとも抗うつ薬治療が必要になるようなうつ病リスクの増加と直結しなかった」ということです。この点だけ見ると「母親は1.8倍もリスクが上がるのに、父親は上がらないの?」と感じるかもしれません。ただし注意したいのは、この研究は「抗うつ薬を処方されるほどのうつ病」に限った話ということです。実際には前述のように、父親も産後うつの症状自体は10%前後で経験しています(スクリーニング陽性)。父親の産後うつは“存在しない”のではなく、「見過ごされがち」なのではないかとも指摘されています。男性は女性よりも自分の不調を相談しにくかったり、周囲も「産後は母親が大変」と思って父のサインを見逃したりしやすい傾向があります。ですから、仮に数字上はリスク増加が見えにくいとしても、「父も含めた家族全体でメンタルヘルスに気を配る」ことが大切と言えるでしょう。
最後に、女性の抗うつ薬治療の開始率に注目してみます。これは「実際に治療が必要と判断され、抗うつ薬の服用が始まった人」の割合です。この指標で見ると、産後のうつ病リスクは診断数よりさらに低めに出ることがあります。デンマークの同じ研究によれば、産後6か月の母親が抗うつ薬を開始した率は一般の女性よりむしろ少ないという結果でした(産後女性で年間1万人あたり136件、一般女性では210件の処方)。先ほど母親の診断は「1.8倍に増える」と述べましたが、薬の処方ベースでは産後女性は0.6~0.9倍程度に減っていたことになります。また繰り返しになりますが、新米父親に関しては抗うつ薬の処方率に有意な増減は認められていません。
どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。考えられる理由の1つは、産後の方が「薬以外の方法」でケアされる場合が多いことです。例えば産後うつの症状が出ても、授乳への影響を心配して薬を避け、カウンセリングや周囲のサポートで乗り切ろうとするお母さんもいます。また医師側も産後の患者さんには慎重に経過を見て、「もう少し様子を見ましょう」と薬を出さないことがあります。結果として、実際には抑うつ状態でも薬物治療まで至らないケースが結構あるのです。さらに近年は抗うつ薬の処方指針や受療行動が時代とともに変化しており、そうした外的要因が処方率に影響している可能性も指摘されています。したがって、処方データだけ見ると「産後は意外とみんな薬を使っていないんだな」と見えますが、これは「産後はうつにならない」という意味では決してありません。実際にはうつ病と診断され苦しんでいても、薬に頼らず何とか過ごしている人がいる、ということなのです。
数字の違いが教えてくれること:正しく恐れ、早めの相談を
ここまで見てきたように、周産期のうつ病リスクはどの指標で見るかによって数字が変わります。しかし、どのデータからも共通して読み取れる大事なポイントがあります。
① 周産期、とくに産後初年度はうつ気分になりやすい時期である
母親の場合、出産を境にうつ病のリスクが明らかに高くなります。一番リスクが高いのは産後数週間~数か月以内で、スクリーニング陽性率・診断率ともにピークを迎えます。父親もリスクの増加は穏やかですが、やはり子どもが生まれた最初の一年間は注意が必要です。特に産後3~6か月頃は、父親の産後うつ気分が最も現れやすい山場と考えてください。この時期に「なんだかおかしいな」と感じることがあれば、遠慮せず周囲に相談したり医師に話をしてみましょう。
② 大事なのは「数字の大小」より「不調を見逃さない」こと
例えば「産後うつのリスクが1.8倍」と聞くと不安になるかもしれません。しかしこの数字は「産後の女性はそうでない時期よりうつ病になる確率が約80%高い」という意味であり、裏を返せば産後でも大半の方は大丈夫とも言えます。必要以上に恐れることはありませんが、「いつもより少し心の不調が起きやすい期間なんだ」と認識して用心することは大切です。一方で、「男性は平気なんだ」と思ってしまうのも危険です。前述のとおり、父親も10人に1人は産後うつ気分を経験しうるので、リスクがゼロなわけでは決してありません。数字の違いは「症状の出方や支援にギャップがある」ことを示しているに過ぎず、母でも父でも産後うつになる可能性はあると心得てください。