メンタルクリニック下北沢

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2025.03.03

単極性うつ病 vs. 双極性障害ーー見逃しを防ぐために

気分障害の診療では、単極性うつ病双極性障害を正しく見極めることが非常に重要です。誤診のまま治療を続けると、十分な効果が得られないだけでなく、場合によっては躁状態への移行(躁転)を誘発するリスクも高まります。しかし実際の臨床現場では、両者の区別が難しいこともしばしばです。とくに軽躁状態(双極II型障害に多い)を患者・医療者の双方が見落としやすいことが大きな問題となっています。

近年は、症状や経過だけでなく、標準化された評価ツールや生物学的マーカーなども含む「多次元アプローチ」が鑑別精度を高めるうえで有用であることがわかってきました。本コラムでは、鑑別診断のポイントや最新研究の知見をまとめ、診断・治療の最適化に役立つエッセンスを紹介します。

鑑別診断の重要性

誤診による治療遅延

双極性障害を“うつ病のみ”と誤診すると、平均して5~10年もの間、不適切な治療が続くことがあると報告されています。この期間に抗うつ薬単独で治療すると、躁転や気分の急速交代(rapid cycling)を誘発する危険性が高まります。また患者さん自身が「自分はうつ病だ」と思い込むことで、軽躁期における行動上の変化(活動性の亢進や睡眠欲求の低下など)を病気とは捉えず、診察で申告しにくいという問題も指摘されています。

見落とされがちな双極II型障害

双極I型障害は躁状態が明確なため比較的診断しやすいのに対し、双極II型障害では躁状態より軽い「軽躁」が主症状であるため、患者さんも医療者も気づきにくい傾向があります。特に軽躁エピソード中でも「気分が少し晴れやか」「少し活発になった」程度だと自覚しにくく、単極性うつ病と診断される割合が高いことが繰り返し報告されてきました。

症状の特徴から読み解く鑑別ポイント

気分変動の質的な違い

  • 気分反応性 (mood reactivity)
    周囲の環境や他者の反応に対して気分が影響を受けやすい状態を指します。非定型うつ病では気分反応性が特徴的ですが、AkiskalらやPerugiらの研究では、単極性うつ病の多く(約80%以上)に認められた一方、双極II型のうつエピソードではやや低い頻度だったと報告されています。
    → こうした差はあるものの、単独では決め手に欠けるため、他の症状との組み合わせが重要とされています。

  • 気分の不安定性 (mood lability)
    数時間単位で理由もなく気分が大きく揺れ動くようなパターンを指します。双極性障害では比較的短期間に気分が大きく変化するケースが単極性うつ病より多いという指摘があり、「超急速交代 (ultra-rapid cycling)」はとくに双極スペクトラムでしばしば見られます。

精神運動面の違い

  • 精神運動制止 (psychomotor retardation)
    動作や思考が遅く感じられる状態で、単極性うつ病に多い傾向があります。実際、Cassanoら(イタリア・アメリカの多施設研究、n=1,158)による解析では、軽躁の既往がない群の大半で精神運動制止が顕著だったと報告されています。

  • 精神運動焦燥 (psychomotor agitation)
    思考の加速や落ち着きのなさが目立つ状態で、双極性うつ病エピソードでより多く見られます。特に「過去に数日~1週間以上、落ち着かず思考が止まらない、あるいは多弁になったことはないか」といった問診は、軽躁や躁の既往を見つけるうえで非常に重要です。

疾患経過からみる鑑別指標

エピソードの回数・発症年齢

  • エピソード回数
    うつ病エピソードを複数回経験している方(例:4回以上)で双極性障害に“転換”する割合が高いという指摘があります。複数の研究で再発回数が多いほど双極性の可能性が高まるとされ、実際に若年発症で繰り返しエピソードを呈する患者ほど双極性障害の率が高い傾向にあります。

  • 発症年齢
    双極性障害の平均発症年齢は単極性うつ病より5~6年若いとするデータが多数あります。たとえばSwartzら(2013)では、女性患者96例を比較した結果、双極II型障害群の発症年齢が有意に低く、多エピソード化しやすいと報告しています。

季節性

うつや躁(軽躁)エピソードが季節の変わり目(春や秋)に起こりやすい例は、単極性・双極性の双方に見られます。ただし、Faedda・Tondoら(1993)の研究では、春夏の躁転と秋冬のうつがはっきりと毎年繰り返される割合は、単極性より双極性のほうが高いと指摘されています。一方で、季節性のパターンは非常に多様で、あくまで補助的な指標にとどまります。

標準化評価ツールの活用

スクリーニング検査

  • HCL-15 (Hypomania Checklist-15)
    主に双極II型障害の鑑別に用いられる自己記入式チェックリストです。中国の多施設研究(n>600)では、カットオフ値によって感度78~82%、特異度75~90%と比較的良好な成績が報告されています。たとえば「普段より社交的になる」「集中力が極端に変化する」といった項目は、軽躁エピソードの発見に役立ちます。

  • SAD-P (Screening Assessment of Depression-Polarity)
    Solomonら(2006)が米国NIMHの追跡データを用いて開発したツールで、家族歴やうつエピソード回数、妄想の有無など重要項目を数点に絞り、双極I型の感度を約80%でとらえることができるとされています。

認知機能評価(BAC-Aなど)

BAC-A (Brief Assessment of Cognition in Affective Disorders) は、作業記憶や注意・実行機能を簡易的に評価するツールで、双極性障害では寛解期でも軽度の認知機能低下が残る例が多いことが示唆されています。Leeらの研究(2010年代、アジア圏)でも、Go/No-Go課題の誤反応率が双極性群で高かったことが報告され、うつ病との鑑別にある程度有用とされています。ただし、臨床応用としてはまだ限定的であり、他の指標と組み合わせて判断するのが望ましいでしょう。

生物学的マーカーはどこまで使えるか

血清BDNF(脳由来神経栄養因子)

Fernandesら(2009) は、双極性うつ病の患者と単極性うつ病の患者を比較した小規模研究で、血清BDNF値が双極性うつ病患者で有意に低下していたと報告しました。ROC解析の結果、感度88%、特異度90%という非常に高い値を示し、鑑別の可能性を示唆しています。
もっとも、後続のメタ解析では「BDNFは病相(躁やうつ)の活動性をある程度反映するが、臨床鑑別の決め手としては研究段階にとどまる」という位置づけです。実際には測定キットのバラつきや日内変動などの課題が残り、現時点では補助的な位置づけと考えるべきでしょう。

遺伝子発現プロファイル

遺伝子発現や炎症関連分子などのバイオマーカーを組み合わせる研究も世界各地で進行中です。例えば一部の研究(Holmesら, 2015 ほか)では、末梢血における炎症性サイトカインや関連遺伝子(IL6R、TNFAIP3など)の発現が双極性障害で持続的に高い傾向を示すとの報告があります。ただし、サンプルサイズや再現性の問題から、臨床現場で即時に活用できる段階には達していません。

臨床における実践的アプローチ

診断プロトコルの最適化

軽躁や混合状態が見逃されないよう、初期評価の段階から以下のような点を系統的にチェックすることが推奨されています。

  1. 過去に「気分が高揚し、活動量が増えた」時期が数日以上続いたことがあるか

  2. 抗うつ薬を飲んで比較的早期(1~2週間以内)に躁的・軽躁的な症状が出現したことがあるか

  3. 家族(親族)に双極性障害や躁うつ病と診断された人がいるか

  4. 20歳以前の若年期からうつエピソードが始まっていないか

  5. 精神運動焦燥(落ち着きのなさ、考えの奔逸)を繰り返していないか

  6. 季節の変わり目にエピソードが起きやすいなど、パターンが一定していないか

これらをHCL-15などのスクリーニングツールと併用することで見逃しを減らし、必要に応じて生物学的マーカー(BDNFなど)の測定や認知機能評価(BAC-Aなど)を検討するのも一つの方法です。ただし、確定診断には最終的に精神科専門医などの詳細な面接・評価が欠かせません。

治療戦略の違い

  • 双極性うつ病:気分安定薬(リチウム、バルプロ酸など)や第2世代抗精神病薬(クエチアピン、ルラシドンなど)を軸に、必要に応じて抗うつ薬を慎重に併用します。

  • 単極性うつ病:SSRI等の抗うつ薬と心理療法(認知行動療法など)を組み合わせるのが一般的です。

  • 混合・急速交代が疑われる場合:バルプロ酸の血中濃度を充分に確保するなど、躁・うつ双方への対応策を同時に検討します。

単極性うつ病と双極性障害は、一見すると似た症状を呈するため、臨床現場での鑑別は容易ではありません。しかし実際には、気分や行動の変動パターン発症年齢や再発回数などの病歴情報、評価ツール(HCL-15, SAD-P等)、そして生物学的マーカー(BDNFなど)を総合的に見ることで診断精度を高めることが可能です。

特に近年は、単一の症状・指標だけではなく、多次元アプローチによる“精密診断”の重要性が言われています。まだ研究段階の指標も多いものの、早期の的確な診断は、その後の治療計画や再発予防に大きな影響を与えます。患者さんそれぞれの生活や家族歴、認知機能などを含め、柔軟かつ個別化した診断・治療が求められる時代と言えるでしょう。